山口直哉「森と水の四方山話」vol.05
原生林の番人
オオチャイロハナムグリを知っていますか?
コガネムシ科トラハナムグリ亜科の甲虫で、体長30mm前後、全身紫がかった濃い褐色で光沢があり、一見するとカブトムシのメスと見紛う程の大型昆虫です。
樹洞や枯死部のあるミズナラ、ブナといった大木が存在する自然度の高い森、シンプルにいえば原生林に棲息します。
産卵は洞(ウロ)の下部など、樹木がフレーク状に腐朽して堆積した場所で行なわれます。そして、孵化した幼虫はその茶色く腐朽化したフレークを食べ、2年〜3年かけて成虫になります。
成虫は産まれ育った樹洞や、樹洞を有する別の大木へ飛び移った先で棲息していますが、その特殊な生息環境から棲息数は多くはなく、発見も容易ではありません。
洞などが形成される老熟した大木は、開発などにより伐採され、全国的にその数を減らし続けています。そして、オオチャイロハナムグリの生息できる環境も減っているのが現状で、環境省のレッドデータブックでは準絶滅危惧種に指定されています。
オオチャイロハナムグリのオスは、メスを誘引するために発生木の洞の周囲などで甘い香りのフェロモンを発し、辺り一帯は独特な甘い芳香に包まれます。僕はこの香りがとても好きです。
そしてこの香りを頼りに探索すると、匂いを発するために六本脚で踏ん張った姿勢のオスを発見できることもあります。
前振りが長くなりましたが、7月下旬、そのオオチャイロハナムグリに会いに行ってきました。栃木県北部にある比較的原生林が残ったエリアで、ここにはミズナラの老木が点在しています。
洞から洞へと1本1本、まるでオオチャイロハナムグリになったかのように森を散策すること1時間、フンワリと例の甘〜い香りが漂ってきました!
風向きを確認するために立ち止まると、緩〜い風が汗の滲む右頬に微かに触るのが分かりました。風上方向に目をやると20m程先に1本、そのやや右奥15mほど離れた所にもう1本、太めミズナラが目視できました。
近付いてみると、最初の1本は直径およそ150cm、地上から高さ180cmにかけて逆U字状に洞が形成されています。洞の底には良い状態のフレークが積もっています。
「これは居そうだな!」
しかし、洞の周囲から樹上を丹念に観察しても姿は見当たりません。潜って洞の内部をライトで照らすと、上部はおよそ3m程の高さまで空洞化していることが分かりましたが、オオチャイロの姿はありません。先程まで強く感じていた、あの甘い香りも薄れていました。
「もう1本の樹かな・・・」
先程確認したもう1本の樹に近付くと香りが復活、さらに強くなりました! その木は地上から7〜8mの高さまで周囲1/3程が枯死しています。さらに近付くと目に飛び込んで来ました! 地上から1mの高さ、枯死部との境目にジッと静止していたのは匂いの元、オスのオオチャイロハナムグリです。
カメラを10㎝まで近付けてもまるで動じることなく、わずかに触覚を動かすだけでジッとしています。脚を突っ張って踏ん張るという、匂いを発するための姿勢ではなく、ただジッとしています。辺りが甘い香りに包まれていることから、恐らくつい先程まで踏ん張ってフェロモンを発散し、今はメスを待っているのでしょう。そのどっしりとした姿はまるで、樹洞の番人の様です。
その樹を良く見ると、枯死部の所々に腐朽が進み崩れ落ちている部分を散見でき、内部が空洞化しているのが分かりました。
直径100cm程とあまり太い樹ではありませんが、内部は幼虫の生育に良い状態なのでしょう。その後20分程観察と撮影を続けていると、ゆっくり、そしてなんとなく訝しげに歩き出し、裂け目から樹洞内へと入って行ってしまいました。
この日はトータル3頭の♂を観察することができ、満ち足りた山歩きとなりました。甘い芳香漂うオオチャイロハナムグリが棲む健全な原生林がいつまでも守られることを願いつつ、帰路につきました。
オオチャイロハナムグリのように大木の樹洞をホストにしている昆虫は、他にもヤンバルテナガコガネやヒゲブトハナカミキリ、タテヅノマルバネクワガタなど少なからずいますが、そのいずれも生息環境の減少が主な要因で個体数の減少が進んでいます。
沖縄本島北部のヤンバルの森にのみに分布する、ヤンバルテナガコガネは国の天然記念物に指定され、採集禁止になっています。舗装林道やダム造成などの乱開発で、年々棲息地域が奪われ個体数を減らし続けているのが現状で、危急な対策が必要です。
生息地域が非常に狭い範囲に限られ、スダジイなどの大木の樹洞という希少な発生木に頼るヤンバルテナガコガネに対して、採集禁止という措置は一定の効果が得られていると思います。非常に厳しい取り締まりをかい潜り、また所持するだけで逮捕されるというこの虫を、一般愛好家に手を出せるはずがありません。ほんのごく一部の悪質な愛好家?による密猟だけで、その数などたかだか知れています。
最大の要因は発生木の伐採など生息環境の破壊で、それが種の存続に多大な影響を及ぼしていることは、生物に詳しい者でなくても簡単に理解できるでしょう。1983年に発見され、翌1984年に天然記念物に指定されて以来30年経ちますが、その間も生息地のヤンバルの原生林は蹂躙され続け、生息数を減らし続けています。鳥類のヤンバルクイナは近い将来絶滅すると言われています。ノグチゲラ、リュウキュウヤマガメなどの固有種も同様に絶滅の危機に瀕しています。
開発により利権を得る地元業者及び政治家、予算消化のための不必要な林道開発など、図式は日本の他の地域と同様です。貴重な動植物の存続を本気で願うなら、不必要な開発を止め、さらに保護地区を設けるなど、保全のあり方を改めて考えなければならない局面に来ているのではないでしょうか。